aSAKOの凹凸ブログ

診断されたわけじゃないけど、発達障害☆アダルトチルドレン

アダルトチルドレン?

アダルトチルドレンという言葉を知り、検索開始!

子供の頃のことを根に持ち、成人してからもなお親に好意を抱けない悩みをどうにか解決したかった。

今までの生きにくさが発達障害だったためだとしっくりきたように、何かしっくりくる原因がないものかと模索していた。

 

アダルトチルドレン(英:Adult Children)とは、

・親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人[1][2]。Adult Children of Alcoholics(ACOA、ACA)の略語で、こちらが元々の意味である。アメリカでアルコール依存症治療との関わりの中で生まれた言葉である[1]。
・親による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。Adult Children of Dysfunctional family(ACOD)[3]。「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマ(外傷体験)を持つ」という考え方、現象、または人のこと。   出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

検索して当時思ったこと

『親がアルコール依存症という事実はない』

『自分はアダルトチルドレンには当てはまらないな』

 

 

そこから数年。 

 

 

今回、ブログを開始することを決め、テーマは『発達障害』、それと『いまだに解決しない親との不調和』についても書きたいと思った。

そこで、再度検索。

 

 

たどり着いた結果

『自分の家庭は機能不全家族

『やはり自分はアダルトチルドレンといっていいのではないか』

 

 

発達障害と同様、自分がアダルトチルドレンだからといって、だからどうということはない。ただただ、自分の気持ちがちょっと軽くなった。

開き直るわけでないが、自分が持っている親への感情や家族愛の希薄さ、それは『異常ではない。きちんとした原因があるから。そしてそういった人間は自分だけではないんだ』と思えたことでほんの少し救われた。

 

アダルトチルドレン②

 

母や周囲の大人の期待に応えたいという気持ちと、それに追いつかない気持ちとでバランスが取れなくなり、家では荒れに荒れていた。ちょうど反抗期の時期と重なったのもあったと思う。

子供の頃は、親の支配下にあり顔色をうかがってきたが、自立してくると、どんどん母親からは気持ちが離れていき、嫌悪感さえ抱いた。

 

高校を卒業して家を出て、ホームシックになった際には母親に連絡したが、『そんなこと言ってこられても』との回答

 

母親も人間。母と子も人間×人間。性格の合う合わないはあるのだろうなと思う。

余談かもしれないが、私は親の『無償の愛』なんてものはないと思っている。

ある人はあるのだろうが、前例ではない。ない場合もあるということ。

 

 

親が離婚、親からの言動に傷つく。そんなことは誰にでもあることだと思う。

それなのに私はいつまでも、昔の出来事にこだわっている。

親への感謝の気持ちよりも憎しみの方が勝る。

私の性格がひねくれているからなのか、、、と悩んでいた時期があった。

 

その頃に、『アダルトチルドレン』という言葉を知った。もう何年も前の話。

アダルトチルドレン①

 

円満な家庭ではなかったが、それなりの家庭だったと思う。

ひどい身体的虐待があったわけでもネグレクトがあったわけでもない。

あったことといえば

 

・両親ともにヒステリック 常に顔色をうかがっていた

・小学生の時、父親にお金を貸してくれと言われ、数千円渡した

・母親と兄がテレビを観ていた。私も一緒に観たかったが、話しかける私を母親が無視

・母親は世間体をとても気にしていた

・私が悪いことをした時の母親からの言葉『お兄ちゃんはそんなことしなかった』

・財布をよく失くしていた私。でも1度、明らかに部屋にあったものが無くなった。      それから数年後、引っ越しの時に、兄の部屋から財布が出てきた。母親も一緒に発見    したが見てみないふり。犯人は父か兄か、、、不明

 

それでも、母親の愛情を求めていたと思うし、どうしようもない父親だけど好きだった

 

 

 ・両親別居。別居開始時、何の説明もなかった。私から母親に聞いた時に母親は説明し                たが、母親の言葉『男の子は父親の背中を見てるから、お兄ちゃんが可哀想』

・別居後の生活場所もそう遠くはなかったが、父親と会うことに母親はいい顔をしな      かった

・父親に電話をする私をヒステリックに非難した。父親が送ってくれた手紙を母親は勝     手に開封して先に読んだこともあった

 

 

離婚騒動で、しっかりしていると思っていた母親の弱い部分がどんどん見えてきた。

母親は弱く、小さいことを気にし、世間体を気にし、自分の姉に頼り、私に頼り。

私は離婚届け記入の際にも傍にいるよう言われた。

 母の姉や友人には『お母さんを支えてあげてね』と言われた。

 

私は叫びたかった

『両親の離婚は私だって辛い』

『私のことは誰が支えてくれるの!?』

 

 それでもその頃はまだ、母や周囲の期待に応えたい気持ちが強かった。

 存在意義が欲しかった。

 

 

思いつく自分の発達障害的言動のまとめ(私見)

中学生時代から

 

エピソードの詳細を小学生時代のときほど思い出せない

自分の特性・特徴をすこーし理解し始め、これではいけないなと思うところを修正していったように思う

それでも中学生時代は感情のコントロールが難しく、特に反抗期?も重なったためか家では荒れまくっていた

家族・恋人以外には、意識して感情コントロールを行っていた

しかし、家族・恋人には接する時間も多く、また甘えもあるためか、コントロールがきかない

 

 

社会人

感情コントロールの難しさは続く

それと、注意欠如

少し思いつくエピソードあり

 

・海外旅行中 トランジットの時間に飛行機チケットを紛失

 どこにいったか不明

 

キーケースを紛失

 業者に自宅のカギを開けてもらったが、翌日職場で普通に見つかった

 

車のカギを紛失 

 駐車場と自宅を往復してすぐに気づくも見つけられず

 さらに自宅に保管しているであろうスペアキーもすぐには見つけられず

 そのあと、よくよく探してスペアキー発見(何度も確認したところから発見。1回で

 は見つけられない

 約1年後、紛失していたカギをアウターのポケットから発見

 おそらく紛失した際に着ていたアウターであろう。

 それをその時には見つけられなかった

 

思いつく自分の発達障害的言動のまとめ(私見)

小学生時代

 

・財布を何度も失くす

 

・通知簿に『忘れ物が多い』と書かれる

 

・自習時間に勉強せず遊んで騒いでいる子達がいた。

 『先生に報告する』と言って、うるさかった生徒の名前を紙に書いている子がおり、

 見ると私の名前があった。私は騒いでいなかったため驚いたが、名前のあとに(独り

 言を言っていた)と書かれていた。うるさいほどの独り言?自覚なし

 

感情のコントロールが難しい、気持ちの切り替えができない

 音楽の授業に2人で手遊びをする時間があった。直前に何があったか覚えていないが

 どうしてもやる気になれず、真っすぐ前を見たまま固まりやらなかった

 

 

夏休みの宿題を全くやらない年があった

 やってくるよう言われてもやらなかった

 その時の感情は覚えていない。先生から母に連絡がいき、激怒された

 先生には『宿題をやらないようにという強迫の手紙がきた』とバレバレの嘘をついた

 

・授業での版画を提出期限が来ても仕上げずにほったらかしていた

 

・自宅での食事の際、テーブルいっぱいに料理が並んでおり、その中から自分の湯飲

 みを探せなかった

 そのことを口に出して言ったが、母が他の家族に『教えなくていい。わからないわけ

 がない。わざとだ』と言った

 悲しかった

 そのあとよくよく見て発見出来たが、『やっぱり嘘だった』と思われるのがさらに悲

 しく悔しかったのを覚えている

 

空気が読めない行動発言
 父方母方の祖父の話をしており、母方の祖父について『おじいちゃんボケてるもん
 ね』と言った。母にビンタされ、兄に『あほや』と言われた
 悪意は全くなかった

 

・友達に自分から電話をして遊ぶ約束をしたにもかかわらず、すぐに面倒になる

 見たいテレビ番組を見つけてしまうと、そのまま行かずにテレビを見る

 友達への迷惑やそのあとの友人関係のトラブルについてまで考えない

自分=

 

自分に当てはまると感じてからは、検索することにのめり込んだ。

 

自分自身が『発達障害』ではないかと思い始めた当時

どう表現すればいいかわからないが

「あー発達障害ってこんな症状があるんだ。そして、私はそれなんだな」という感じ

 

【自分=発達障害がしっくりきた

 

 

思い出す幼少期からの様々なエピソードには、性格なのか障害の症状なのか判断がつきにくいものもあるが、注意欠如 が目立つ

 

あとは、空気が読めなかったり、集団行動・コミュニケーションが苦手だったり、宿題をやらなかったり、約束を忘れたり、待ち合わせをしているのに別のことがやりたくなって行かなかったり、感情のコントロールが出来なかったり。。。

 

記録するために改めてこうやって考えていると、自分のダメなところ・それにまつわる悲しいエピソードがたくさん思い出され、ちょーっとだけ落ち込む💦

もしも障害からくるものであったとしても

こうやって思い出すと、ただただダメなやつ、そして性格が悪いやつだなと😩

 

子供のころの自分に言ってあげたい。

気付いて!

注意して!

周りの空気感じて!

 

発達障害だと思ったきっかけ

 数年前、親しかった方の言動に疑問を感じた

 

・その方の行動でやめて欲しいことがあり、本人に伝えるも、同じことを繰り返す。

 我慢できなくなり泣いて訴えると、『何でこうなってしまうんだろう』と

 本人も本当に困惑している様子、、、何度も言っていたのに伝わってなかった?

 

・2人で話したことを、数日後に初めてのように話してくる。

 前に話したことを伝えるも覚えていない、、、記憶喪失?

 

・大事な約束をしている日の前日になり、『明日休みでしょ?何する予定?』と聞いて 

 くる、、、ただの約束ならまだしも、こんな大事な約束を忘れる?何で?

 

 

客観的にみると、

『そういう性格?』

『たまたまじゃない?』

『気にしすぎじゃない?』

と思われるかもしれないが、目の当たりにしている私からすると本当に不思議で不思議で、何かおかしいと感じて

そこから、ネット検索、検索、検索。。。。

 

そこでたどり着いたのが 発達障害

 

そして気付いた!!!

 

検索のきっかけになった方はさておき

 

これって。。。私!?私が当てはまる!?😲

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